午後は20名が参加。県立人と自然の博物館の中瀬勲館長が、「再び、六甲山の景観計画を考える」のテーマで話された。六甲山の歴史を踏まえて、景観計画の全容を理解できたと好評であった。

①自然保護センター・レクチャールームで第129回市民セミナーを開催しました

②講師は県立人と自然の博物館・館長の中瀬さん

③小雨で身体が冷え込んだので、ストーブを入れてもらいました

④講演後の休憩を終えて座談調で質疑応答にはいりました

⑤六甲山森林整備については松岡さんも補足のコメントをされました

⑥終盤は座談調で質疑応答で盛り上がりました

第129回テーマ
再び、六甲山の景観計画を考える
●六甲山の景観マネジメント
●森林レクレーション
●景観計画の発想

講師:中瀬 勲さんプロフィール
1948 年大阪府生まれ。県立人と自然の博物館館長、県立淡路景観園芸学校学長などを兼任。大阪府立大学大学院修了後、カリフ
ォルニア大学客員研究員、県立大学大学院教授、淡路景観園芸学校校長、人と自然の博物館副館長、丹波の森公苑長兼任を経て
現職。日本造園学会会長など多くの公職を歴任。阪神グリーンネット事務局長等の震災復興のまちづくりに関わる。日本造園学
会賞、兵庫県科学賞等を受賞。

実施日:平成29年4月15日(土)
午前10時~ 15時00分
場 所:六甲山自然保護センター、
記念碑台・散歩道

午前中はアセビの萌芽枝を調査
曇りのち小雨で11℃、スタッフ7名、見学3名の10名が参加。2班でアセビ切り株の萌芽枝を調査しました。開花が遅れていたクロモジ
やアセビが咲き出していました。午後の講演に20名が参加しました。

ランドスケープ専門で40年
中瀬さんは、高校時代からガーデニングや造園に関心が深く、大阪府立大学で久保 貞先生に師事されました。「新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾の孫弟子だ!」とジョークまがいに言われました。札幌農学校第2期生のゴールデントリオの宮部金吾から、久保先生は日本の近代化の過程で、地域づくり、景観づくり、森づくりが大事だと教え込まれています。1978 年、久保先生からガレット・エクボの研究室に送り出され、28 歳でアメリカへ単身赴任。エクボ先生は世界中にランドスケープを広げた、フレデリック・ロー・オルムステッド(右)の流れを継いでいます。初仕事はアメリカ側のナイヤガラの景観計画で、1年後に「自然やから触らんとこう」という意外な結論に接し、「自然と接するための流儀」を学んだとのことです。日米の先進的な研究者の系譜にあり、「ややアメリカっぽい、かなり近代化の路線を歩んだ研究だ」と紹介されました。

1万年前から辿って、「都市山」までを解説
講演では、用意されたスライド「六甲・神戸 地域整備の過去・現在・未来」のⅠ~Ⅵ章に基づいて、豊富な話題を織りこみながら話され関心を高められました。まず「過去1万年、長い歴史上での六甲山・緑の変遷」で、照葉樹林から再び照葉樹林へと6期にわたる六甲山の移り変
わりを紹介されました。続いて「近世100 年、人為による六甲山・緑の回復」で、植林や風水害の被害、第二次大戦中の大木の伐採、戦後の盗伐による緑の荒廃を述べられました。次いで「近世100 年、レクレーション開発の展開」で、別荘、ゴルフ場などの複合開発が先進的に進展したことを説明されました。そして「何故、六甲山は国立公園に」で、水の風景観から森林の風景観への転換と併せて、国立公園化の由
縁を語られました。結論部分の「未来の六甲山は」では、「保全」の側面と「利用」の側面からトータル・ランドスケープとして課題を抽出し再確認する必要があると述べられ、さまざまな課題や、アメリカのボストン・コモンなどの参考事例を引用して提言されました。
パブリック・アートを例に、六甲山の山は行政が管理し、イベントは市民が運営する組織体で担うことを強調して、質疑応答に進められました。

今後の六甲山を考える視点が磨かれた
12年振りに六甲山の景観計画についてお話しいただきました。「都市山」六甲山に至る100 年以上の自然環境や人為活動の変遷、課題やヒントをお話しいただきました。改めて「市民が仕切っていく」ことを啓発されました。

詳しくは2ページをお読みください。

参加の感想 小谷寛和さん

初めてセミナーに参加しました。四季折々の森の表情を身体で感じるのが好きで、六甲山によく登っていました。これがセミナーで中瀬先生が言われていた身近な都市山六甲山の「生態系サービス」、森の恵みの恩恵だということを改めて感じました。また、セミナーの前に、まちっ子の森でのアセビの伐採調査も見学させていただきました。森では子どもたちの自然体験学習も10 年以上続けられているとのこと、息の長い活動に感心しました。

主催:六甲山を活用する会
協力:兵庫県立人と自然の博物館
後援:神戸県民センター、灘区役所、神戸市教育委員会

【助成金をいただいている機関】順不同
大阪コミュニティ財団(東洋ゴムグループ環境保護基金)、
コープこうべ環境基金、セブン-イレブン記念財団、
GGG国立・国定公園支援事業

第129回テーマ:再び、六甲山の景観計画を考える

●六甲山の景観マネジメント
●森林レクレーション
●景観計画の発想

第129回市民セミナーの流れ市民セミナー
1.自然体験:10:00~12:10
2.講演 :13:00~14:20
3.休憩 :14:20~14:30
4.意見交換:14:30~15:00

講演のあいさつ(中瀬 勲さん)

4月から69歳になったのですが、突然、知事から淡路景観園芸学校の校長になるよう言われました。今日のメインテーマですが、風景
や景観だけでなく、それらを支える仕組みを含めてランドスケープ、造園と考えていいと思っています。

1.六甲山の景観マネジメント
■長期間の植生変遷の場
服部保先生が言われていることで、六甲山がもともと照葉樹林だったのが今照葉樹林に戻って来ている。再度山を例にして6つの時期を概観する。
①約1万年前:温暖化によって夏緑林は次第に照葉樹林へと交代し、約6,000 年前には六甲山の海抜700m以下を照葉樹林が占めるようになった。
②弥生時代:照葉樹林は焼き畑や燃料の確保などで減少し、奈良時代以前には雑木林になっていた。
③雑木林の伐採:伐採頻度が高くなり、コナラ、クヌギなどの落葉広葉樹も衰退しアカマツが進入し、再度山付近でもアカマツ林化がみられた。
④15世紀頃から経済の発展:アカマツ林の過度の利用、特に夜間作業用の灯火に利用するための「マツの根掘り」により、はげ山化が始まっている。
⑤1902 年から植林:はげ山化した再度山に植林作業が開始され、約135 万本のマツ類、ヒノキ、スギ、クヌギ、ハゼノキなどが植栽された。その後、ヒノキが植えられた他は、ほぼ自然の状態で管理されている。
⑥植林後:約30 年後にはコバノミツバツツジ、モチツツジなどが侵入し、約60 年後にはアカガシ、シラカシなどの照葉樹も出現し、再び照葉樹林へと六甲山の緑は動き始めている。
■修行の場(天狗、奥山)から生活・レクの場
奥山から里山に六甲山は変わっている。この土地はもともと人が入らなかった奥山、天狗が住んでいる場であった所が、人々が入り出して里山に変わっていった。明治の頃が転換点になっただろう。
■100年間の植生回復の場六甲山の緑が、「植林」により徐々に回復し「再び照葉樹林」へと回復した。緑の荒廃も生じた。①1900年(明治33年)頃:神戸市内でコレラが発生し、水源地を調査した結果、緑の荒廃が指摘された。このために本多静六氏により六甲造林案が策定され、マツ類などの植林がはじまった。
②1902年(明治35年):砂防法が制定され、修法ケ原、再度山、布引山で砂防工事がはじまった。
③1938年(昭和13年):回復しかけた緑が、阪神大水害で大幅な被害を受けている。
④第二次大戦中:大木の伐採と供出が進められ、緑は荒廃した。さらに、戦後は、一部住民による盗伐が横行し緑は更に荒廃した。
●本多静六の造林指導:明治神宮と六甲山の造林を指導した。明治神宮は日本各地から植物を集めたが、六甲山は地域遺伝子の苗で植えている。

2.森林レクレーション
■近代観光レクレーション発祥の場
【近世100 年、レクレーション開発の展開】
六甲山で、欧米からの近代文明の影響を受けつつ、レクレーション開発が先進的に進展した。都市近郊での自然地における別荘、ゴルフ場などの複合開発が展開した。欧米のレクレーション思想にみられる「健康地、避暑地」としての考え方が六甲山でも展開された。植生の回復と連携していたと考えられるが、治水、衛生、造林、そして景観やレクレーション利用と多様な機能が統合化されていった。
●風景観の原点:万葉の頃は恐れの風景観、次いで情緒的な風景観という中で、江戸時代の水の風景観が原点になった。明治以降に、ウィーンの森を原点にするヨーロッパの森の思想が入ってきた。これが欧米人による六甲山開発につながる。
●『日本美の再発見』:著者はドイツ人のブルーノ・タウト、桂離宮、白川郷等の素朴な風景美を紹介した。井上章一著の『つくられた桂離宮神話』も併せ読むと、当時の建築モダニズムの表裏がわかる。
■何故、六甲は国立公園に
1947 年、六甲山を国立公園に指定するための調査が開始されている。アーサー・ヘスケス・グルーム開発以来50 年後のことである。1956 年(昭和31 年)には瀬戸内海国立公園の六甲山地区として指定された。この過程には自然の利用か、保全か、という古くて新しい議論がなされたであろう。六甲山地区は「瀬戸内海の展望台」として利用の側面から位置づけられたようである。

●真・善・美:人間の理想としての普遍妥当な価値のこと。認識上の真・学問としての真実、倫理上の善・道徳、審美上の美・芸術。国立公園として指定する際に、保全か利用かという議論の視点と関わっている。
●風景を見れるだけの素養:東大で風致の研究室を始めた田村剛博士は、「風景の良し悪しの差は風景そのものに依る寄りも、見る人の教養の差による」という名言を残している。
●東遊園地:明治4年に外国人用の公園が日本で初めて神戸につくられた。「東遊園地」(右写真)と名を変えて市民の憩いの場となっている。六甲山と東遊園をペアで考えると、すごい由緒のあるレクレーション公園開発がこの地で始まっていた。

3.景観計画の発想
■未来の六甲山は
【森林整備戦略】
松岡さんの大作品で、「都市山」の時代、つまり新たな人間と山の自然との関わり合いをどうするか、という時代に来ている。表六甲側は都市山で、北六甲側は新しい里山という位置づけで、六甲山の「恵み」を「育てる」・「活かす」・「楽しむ」仕組みづくりを考えている。これ
からどうするのかはまだ見えていない。
●生態系サービス:多面的機能の発揮で、健全な森や自然から、われわれが得られる恵みのこと。季節折々の食べ物を折々に合わせてやっている、自然を敬う日本人の気持ちが反映されて、和食が世界遺産になった。
【六甲山系グリーンベルト整備事業】
「阪神・淡路大震災復興計画」の主要プロジェクトで、対象範囲は、神戸市須磨区鉢伏山から宝塚市岩倉山までの六甲山の南斜面で、東西30km、面積は約8,400ha。整備の目標は、①土砂災害の防止、②良好な都市環境・風致景観、生態系及び種の多様性の保全・育成、③都市のスプロール化の防止、④健全なレクレーションの場の提供である。(一般のグリーンベルトと同様)●起伏のある地形のグリーンベルト:海外のグリーンベルトは、ボストンのグリーンネット構想のように、平地に樹林帯を作り中心部を囲んでいる。六甲山は起伏のある地形で成立するグリーンベルトの議論が必要。
■提言Ⅰ:日本庭園とアート
六甲山でも日本庭園の具象、抽象、借景が生かせる。風の彫刻家の新宮晋さんは動くアートを広めている。

●日本庭園:具象、抽象、借景庭園が日本庭園の芸術論。相楽園のような具象に富んだ回遊式庭園、植物と水を取ったら石庭になる。竜安寺のような石の庭園は抽象画の世界、そこから石を取ったら借景になる。
■提言Ⅱ:地域再生の世界的なテーマ
一度は荒廃した、あるいは荒廃させた里海、里川、里山のハード、ソフト両面からの再生が、地域再生での世界的なテーマになっている。六甲山でもいろんな再生する要素が転がっている。それを発見して再生していく。
●ボストンのグリーンライン:高速道路を地下に埋めて、地表部を人間のための憩いの場にしている。廃物として放置されていた所に手を入れて再生させた。
●尼崎の21世紀の森:海際で、荒れ果てた土地をみんんなの力でもう一度森に戻そうとしている。 武庫川の下流にあり、流域で種を採って植物を自前で育成して、森を再生している。
■参考Ⅰ:ボストン・コモンにならう
●ボストン・コモン:世界で一番古い公園で、カエルの池があったり、水遊びしたり、施設や店があって賑わっている。春夏秋冬、市の公園協会が運営して収入を上げている。こういう四季の折々の使い方をどうするかがテーマになる。
■参考Ⅱ:ソフトは市民の組織体で運営
●パブリック・アート:高速道路を埋めて公園を作った。公園は街が管理しているが、市民がアートをやっている。訳すと「無料、一時的な展示会を通してグリーンウェイに革新的な現代芸術を発見します」。
●ソフトの運営協議会:土地の管理とは別に、楽しく遊ぶための組織体が出来上がっている。有馬富士公園、甲山公園、21世紀の森公園などでも、運営協議会をつくって、公園でのイベントや仕組み作りは市民に任せてもらっている。県立公園の管理者はハードものを管理し、ソフトは市民が中心になってやる。

事務局
参加者は20名と少なかったが、熱心な方々が集まって、広い視野から多様な話題が展開しました。質疑応答では、松岡さんが「森林整備戦略」を補足し、前田さんが国立公園化の背景にある意図を問い、さらに松井さんが「拡大造林」の失敗に論及しました。六甲山の「今後を考えるための素養」は十分育まれたようです。

◆参考・配布資料など
・パワーポイント:「六甲・神戸 地域整備の過去・現在・未来」
・第26回市民セミナ-報告書:テーマ「六甲山の景観計画を考える」、中瀬勲講師/六甲山を活用する会2005年5月発行

◆参加者の声
・中瀬先生の講演は大変興味深かったです。都市山について、市民と六甲山をもっと近づけて欲しいと思います。やはり、楽しい場の創造をお願いしたいです。六甲だけでなく、東遊園地の芝生化など、もっと親しめる場を希望します。
・セミナーは132回で終わらず200回を目指して続けていただけませんか。楽しみが減ってしまいます。(岩浅)
◆参加者:20名(50音順・敬称略)
伊谷 正弘  伊谷 幸子  井上 幸雄  岩淺 敬由 大岸ゆう子  岡谷 恒雄  川部 忠夫  小谷 寛和 田渕美也子  辻 美由紀  徳見 健一  堂馬 英二 中尾 啓子  中瀬 勲  西尾 司  播磨 征夫 前田 康男  松岡 達郎  松井 光利  八木 浄

中瀬 勲:なかせ いさお
兵庫県立人と自然の博物館 館長
〒669-1546 三田市弥生が丘6
電話:(079)559-2001