市民セミナー報告書より
ヤマザクラとタムシバの歓迎
平成21年度最初の市民セミナーは5ヶ月ぶりに六甲山自然保護センターで開催しました。山上部は快晴で、ヤマザクラのピンクとタムシバの白などが目を和ませてくれ、多くのハイキング客も見かけました。午前中の環境整備のボランティア活動に12名、市民セミナーには22名が集まりました。
ライフワークを愉快に語る大原さん
今回の講師は西宮市貝類館の研究員・大原健司さんです。「マチカネワニを発見したボンで有名です」と自己紹介され、貝類研究家の黒田徳米(とくべい)氏との出会い、そして西宮市貝類館に勤められた経緯を語られました。
講演は10数億年前の大気の生成、4億年前以降にカタツムリが誕生したという壮大なお話。随所にジョークを鋏んで中国殷王朝にまつわる貝貨で締めくくられ、聞き手は拍手喝采でした。化石の発見から現在の貝類研究につながった大原さんのライフワークに感銘を受けました。
カタツムリは陸に上がった貝
講演内容の前半は「カタツムリの起源と誕生」です。ストロマトライトが酸素のある大気をつくり、4億年前にオゾン層ができ、生き物が海から陸に上がる条件ができた。貝が陸に上がってカタツムリになったこと、1億年変化していない形態や特徴のある生態・生息環境など、意外性に富んだカタツムリへの関心をかき立てられました。
後半は「六甲山系を模式産地とするカタツムリ」で、花崗岩の酸性土壌で原生林が切られた六甲山はカタツムリにとって良い環境ではないと説明されました。条件の異なる布引や保久良山にはカタツムリがいます。
ギューリキマイマイなど、神戸開港時代の外国人が発見して報告し、模式産地が神戸になっているカタツムリなどが5~6種います。
カタツムリは外観の形態をほとんど変えずに、様々な地域で順応して1億年以上生き延びています。その一方、移動性が低いので、大きな木を1本切っただけで死ぬような影響を受けます。大原さんは、カタツムリは環境調査の指標動物としても大切にしたい、と強調されました。
カタツムリは環境指標動物
六甲山でカタツムリを見ることが減ったという声も聞きます。今回は棲息環境としても良くないことを知り、カタツムリを通じて環境を考えたいと思います。
講演内容
講演の挨拶(大原 健司さん)
西宮市貝類館で貝類の研究をしています。今日は私と西宮市のコマーシャルを兼ねてカタツムリのお話をします。
1.わたしとカタツムリのかかわり
■高校生のとき、マチカネワニを発見
昭和39年、18歳のとき豊中の待兼山で阪大工学部の移転工事があった。週1回、工事現場にへばりついて化石採集をしていた。ある日、後ろ足の骨と脊髄、肋骨を拾った。頭骨が出て、ワニだということで大騒ぎになった。全長8mの大きなワニで、トヨタマヒメイア・マチカネンシスと名づけられた。大学受験の真っ最中で、お陰で1年浪人をしたが、私のライフワークになった。
■貝類研究家の黒田氏に師事
30歳を過ぎ、田中角栄の日本列島改造論が出た後、千里山丘陵はコンクリートで固められて原型がなくなった。貝類研究家の黒田徳米という人を紹介された。その頃80歳。小学校しか出ていないが、植物の牧野富太郎と並び称される、日本の貝類研究の礎をつくった人だった。
2.カタツムリの起源と誕生
■ストロマトライトが酸素のある大気をつくった
かつて地球の大気に酸素はごくわずかしかなく、窒素と炭酸ガスがほとんどを占めていた。10数億年前、ストロマトライトという光合成バクテリアが現れ、二酸化炭素とカルシウムを合成して酸素を放出しはじめた。ストロマトライトは世界中に広がり、空気中の酸素濃度は徐々に上がった。4億年前にオゾン層ができて、地表に降り注ぐ紫外線が抑えられた。生き物が海から陸に上がれる条件ができた。その頃、貝も陸に上がってカタツムリになったと言われている。
■雌雄同体は子孫の生産性を高めるため
カタツムリは大きく「前鰓(ぜんさい)類」と「有肺類」に分けられる。前鰓類は雌雄が別で、眼が触覚の根元にある。有肺類は雌雄同体で、触覚の先に眼がついている。有肺類は殻に蓋を持っていないので、捕食動物にかじられてしまう。子孫の生産性を高めるために雌雄同体になったと考えられる。
貝類の進化の大きな流れとして、ナメクジ化がある。イカやタコも1億年前には殻を持っていた。陸貝でも殻を捨てるグループがあり、今後数千万年経つと、殻を捨てるタイプがどんどん増えるだろう。
■カタツムリは高山にも砂漠にもいる
海の巻貝で4万5千種、カタツムリは3万3千種いる。カタツムリはツンドラの永久凍土近くにもいるし、シリアの砂漠地帯にもいる。ヒマラヤの高度4000mのところにもいる。インド亜大陸が5千万年前にユーラシア大陸にぶつかってから、5000万年かけて高度に順応した。
■「恋の矢」がカタツムリの仲を取り持つ
一般的なカタツムリは2対触角を持っている。大部分は草食だが、ごくわずかに肉食のグループもいる。大きなカタツムリは約10年生きる。年をとると歯が減るので、歯で年齢がわかる。
生殖口は頬にある。交尾の前に、炭酸カルシウ
ムでできた「恋矢(れんし)」を伸ばして相手の頬をつつき、「ええか?」と確認する。了解をとると頬を擦りあってお互いの精子を交換する。両方が妊娠し、卵を4~50個を産む。
■カタツムリの1年間
桜が咲く頃、冬眠から目覚める。この頃はものすごく食べる。そして相手を見つけて産卵する。梅雨を迎えて大雨が降ると、木に登る。これは雨を喜んでいるのではなく、水に溺れないようにあわてて逃げているのだと思う。夏、乾燥すると死ぬので殻の入口に薄い膜を張る。10月末頃に白い分厚い膜を張って冬眠に入る。最低限の呼吸をして体の乾燥を半年間防ぐ。
■カタツムリの主な棲息環境(一部)
樹上性:日本のグループは、産卵交接期には木から下りるが、世界には一生木の上で過ごすカタツムリもいる。このため、わずか50m離れた木でも別の進化を遂げて、違う種類になった例がある。海浜性:満潮のラインから2~30mぐらいまでしかいない。産卵は海の中でする。4億年前に海から陸に上がったカタツムリの原型ではないか。
海の貝でも、陸のカタツムリでもほとんど右巻きで、左巻きは数パーセントしかいない。平たく巻いている貝の場合、巻き方が異なると生殖門が違うサイドになって、交接しにくくなるので、左巻きはごくわずかしかいない。
2.六甲
山を模式産地とするカタツムリ
■六甲山はカタツムリにとって良い環境ではない
六甲山では、明治時代までに燃料として多くの木が切られた。六甲山を形成する花崗岩は酸性。カタツムリの殻―つまり炭酸カルシウムはアルカリ性で、酸性土壌にはカタツムリは少ない。保久良山や布引の滝周辺は花崗岩ではないので、カタツムリがいる。
■六甲山が模式産地のカタツムリ
模式産地が神戸になっているカタツムリが5、6種類いる。明治時代、神戸が開港してヨーロッパ商人が大勢やってきた。彼らが六甲山や布引の滝で見つけて、新種として報告したのだろう。
質疑応答
カタツムリがナメクジに変わるのはなぜ?:貝殻は乾燥を防ぎ、内臓を守る目的がある。貝殻を捨てると束縛がなくなり、行動性が良くなる。温帯以南の地域では貝殻を捨てるのが恒常化するだろう。
昔、父がナメクジを飲んでいたのを見たのですが:山間部ではタニシやカタツムリは貴重なタンパク源となる。ほんの数十年前まで食べていたという話をよく聞く。
まとめ(大原さん)
カタツムリは古くに誕生して、外観の形態をほとんど変えず、内部変化だけで1億年以上生き延びています。高山・寒冷地から砂漠地帯、あらゆる地域に順応して生きています。
カタツムリは指標動物としては一番良いのではないでしょうか。移動性が高い動物と比べて調査がしやすく、幼稚園児でも捕まえられます。環境の変化をいちはやく受け、大きな木を1本切って、風の通りが変わっただけで死ぬこともあります。昆虫などに比べると分類しやすく、死殻だけでも分類できるので分布調査がしやすいです。カタツムリは環境調査の指標動物としても、大切にしていかないといけないと思います。
事務局より
10数億年前から歴史をたどって、現在につながるお話をしていただきました。噛み砕いたお話で、カタツムリの豊富な話題に驚きました。中国、殷王朝の貝貨から始まる歴史の話もしていただきました。西宮市貝類館にもぜひ足をお運びください。