市民セミナー報告書より
少し涼しい六甲山で賑やかなセミナー
午前10時の記念碑台は26℃で曇りでした。環境整備の定例活動には9名が参加し、散策路の植生調査やアセビ実験区の環境調査や樹木調査などに精を出しました。
午後の市民セミナーは37名という予想以上の参加者で、講演の初めから質問が飛び交う活発さでした。
「人類の起源への関心」が花粉分析に導いた
講師の半田 久美子さんは兵庫県立人と自然の博物館の自然・環境評価部の主任研究員で、植物化石や花粉分析の専門家です。植物化石の研究とともに、脚光が当たっている丹波竜の発掘調査にも携わっておられます。
最初にお会いした時に「どうして花粉分析の研究をされたのですか?」と質問し、「子どものころから人類の起源に関心を持っていた」とお聞きして、その原点を知りました。
セミナーには顕微鏡や珪化木などもお持ちいただき、一般の人が馴染んでいない太古の世界へご案内いただきました。「100万年というと想像しにくいですが、百万円というとわかりやすい」と、太古の時代を理解するコツも教えていただきました。
恐竜や太古の森が見えてきた
冒頭の神戸の植物化石で、森林植物園に樹の化石・珪化木があり、太古の森が再現されていることを説明されました。樹の化石により植生から森の生い立ちを推定するお話しに興味が集まりました。
1億2000年前に活躍した恐竜の話に進んで、丹波竜の発掘調査のエピソードなどを紹介されました。鳥類が恐竜の一族であったという説明には驚きの声もあがりました。
終盤は「神戸の森のおいたち」として、時代を追いながら、気候の変動や植物の変遷を解説されました。3万年前の花粉分析から日本海は湖状態であったと推定され、森や植物が気候に適応して衰退を繰り返すと述べられました。
地球の温暖化が寒暖のいずれに向かうのか、大きな変化の中で理解することを示唆して締めくくられました。
生物多様性の保全にも関心を深めた
化石の標本や写真・イラストなどを使って、太古の時代を目で見てわかるようにご説明いただきました。どんな難しい話になるか心配しながら参加した方も、興味と関心をかきたてられて大満足の様子でした。森や地球環境の変遷を目にできたことから、半田さんが意図されていた「生物多様性の保全が未来の森の保全につながる」ということへ、自然な理解が促されたように思われました。
講演内容
講演の挨拶(半田 久美子さん)
「ひとはく」で植物化石の研究をしています。専門の花粉分析からも太古の植物を解析しています。今日は丹波竜にも触れながら、神戸の森の生い立ちのお話しをします。
1.神戸の植物化石
■神戸でも化石が出る
六甲山では化石は出ないが、六甲の西や三田盆地では化石が出る。新生代古第三紀約3500万年前のもので、神戸層群という地層(主に川、湖、海にできた地層)から、植物、昆虫、ほ乳類などの化石が発見されている。
■樹の化石は六甲山の森林植物園で見よう
神戸市立森林植物園には神戸の総合運動公園の建設工事で出た樹の化石(珪化木)とその末裔の樹(セコイア、メタセコイア、フウなど)を植えて日本の太古の森を再現している。これらは日本では絶滅した樹で、その化石は太古の貴重な遺産である。
珪化木は二酸化ケイ素が木材の組織に入り込んで固まったもので、この組織を標本と比較して種を決める。
神戸の珪化木で初めて種が特定されものはトウダイグサ科の樹でパラフィラントキシロン コーベンセと名づけられた。これまでに見つかっている珪化木はクリ属、ヒノキ科、コナラ属、シイ属、ニレ科、マツ科の7種類だけである。
■樹の葉の化石から植生を推定する
樹の葉化石は253種類がみつかっている。これらは凝灰岩層(元は火山灰)に密集して出てくることが多い。葉の鋸歯、葉脈や葉の別れ方などで種を特定し、その年代の推定植生(落葉樹/常緑樹、広葉樹/針葉樹、湿地性/乾燥性など)から、森の生い立ちが推定できる。
2.神戸の動物化石
■神戸層群の動物化石
神戸市北区や三田では3800万年前のザイサンアミノドン(サイの仲間)のあご、サンダタンジュウ(水辺の猪豚の仲間)など奇蹄類の化石が出てくる。温暖期から涼しい時期に入り草原に適応したたくさんの動物が出現したのが神戸層群の時代である。この時期、日本海はなく日本列島は大陸にくっついていた。
■丹波竜は1億2000万年前に活躍
丹波市山南町篠山川の地層(篠山層群)で中生代白亜紀前期の恐竜の化石が出た。1次発掘では尾骨、2次発掘ではおしりから肋骨部分がでてきた。頭部はバラバラになっていた。
丹波竜は首が長く、頭部を軽くするため歯は単純である。草食恐竜とよく言うが、この時代、草はまだ進化していない。裸子植物を食べていた。小型ティラノザウルス類の歯もでてきた。
3.神戸の森のおいたち
■丹波竜の時代は針葉樹・裸子植物の時代
篠山層群の化石から、1億2000万年前は針葉樹が生育していたことが分かった。その他、ベネチテス類(ソテツに似た裸子植物)、シダ類があった。
■5000万年前は亜熱帯性植物の時代
新生代に入ると被子植物の時代になる。この時期は暑い時代で、九州は亜熱帯であった。北海道が常緑樹林(ヤシもあった)、樺太あたりで落葉樹林、北極あたりでメタセコイアの林があったことが化石で判定されている。
■神戸層群の時代は多様化の時代
3500万年前から涼しくなり、神戸は常緑樹林帯/落葉樹林帯の境界付近にあった。ブナ(今のブナと少し違う)、ナラ、フウ、ヌマミズキ、カエデなど落葉広葉樹、常緑のセコイア、落葉のヌ
マスギ、メタセコイアなどが発生してきた。
さらに、ヤシやバショウの化石がブナと一緒に出るなど、特徴ある森が出現してきた。 このあと1500万年前までには熱帯になった時期があり、マングローブの花粉が産出している。
■300万年前から寒暖振幅が大きくなった
この頃から寒暖の振幅が大きくなり、ヌマミズキ、フウ、セコイアは堪えられなくなり絶滅した。
■3万年前を花粉分析で推定する
六甲山と同様にブナ林のあるハチ北高原の大沼湿原でボーリング調査をし、35000年前までの花粉分析を行った。
今は、コナラ属、ブナ属、マツ属が主流であるが、3万年前はツガ属、コナラ属、2万年前はモミ属、トウヒ属、マツ属の時代、1万年前はスギが非常に多かった。2万年前は氷期で今より6℃ほ
ど低温、海水面も120mほど低く瀬戸内海や大阪湾は陸化していた。朝鮮半島はほぼ陸続きで暖流が入り込まないので日本海は湖状態であった。
■森は気候に適応して盛衰を繰り返している
大阪湾・東灘の1700mボーリングでの堆積物の花粉分析によると、寒い時は川の時代で砂利、暖かい時は海の時代で泥が堆積し、これが繰返されている。それに伴って植物の盛衰がある。
照葉樹はあまり発達したことがなく、落葉広葉樹、針葉樹の中で交替種が出てくる。その時優勢でない植物は次の繁栄の時を待って、けなげに耐えている。今あるブナは日本の固有種で150万年前に初めて出てきた。日本の寒暖の大波に適応して生まれた。もっと古くからあるヒメブナは50万年前に絶滅した。
質疑応答
ブナが観測されない時期はどうしていたの?
なかったとはいえない。別の所(現大阪湾が干上がった所)に退避していたかも知れない。
なぜ花粉を調べるの?
少量で植物の変遷がよく分かるから。
まとめ(半田さん)
花粉分析は太古の植生を理解する有力な方法です。通常、花粉の話はあまり人が集まりませんが、今日は多数の方に聴いていただきありがとうございました。
事務局より
「神戸の太古の森」に魅せられて半田さんの世界に引き込まれました。1億年前の地球や六甲山にイメージを描く貴重な機会になりました。