生活道の唐櫃道(からとみち)に設置された石仏
神戸市北区有野町唐櫃から六甲山を通り灘方面につながる道は、かつて六甲越えの「唐櫃道」と呼ばれました。1804年、この道に唐櫃村の大庄屋鍋屋太右衛門が自分たちの村と深い関わりのある修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)を祀る祠(ほこら)を建てました。それから間もない1825年、こんどは唐櫃村の人たちが中心となって西国三十三カ所巡礼を模したミニ巡礼コースとして石仏群を建てました。石仏は魚屋さんや油屋さん、丹波杜氏(たんばとうじ)、女中さんたちと様々な人たちが寄進して33体と番外4体の計37体が作られました。ミニ巡礼コースはお寺の地所に設置されるのが通常で、交易や生活に使われた道筋に設置されたのは異色です。
当時六甲越えは生瀬、宝塚、西宮などの通行料が必要な公道以外は認められませんでしたが、この唐櫃道は信仰の道、「行者道(ぎょうじゃみち)」という名のもと、間道(かんどう)(抜け道)として通行を許されました。通行するたび人々は行者堂や石仏に安全や幸せを願って手を合わせてきたことでしょう。
※図 六甲山の地理 その自然と暮らし/1988年 神戸新聞出版センター 発行/田中眞吾 編集
200年生き続けるシュラインロードの石仏
かつて六甲越えの「唐櫃道」と呼ばれた道の一部にあたる、神戸市北区有野町唐櫃から前ヶ辻までの道は現在「シュラインロード」と呼ばれています。明治時代末頃から六甲山上に住み始めた西洋人たちによって名付けられ、今に残っている名称です。修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)を祀(まつ)る行者堂や、多くの石仏などがあるため「神聖な道」というような意味です。これらの建造物は素朴ながらも歴史を現代に伝える文化遺産といえるでしょう。200年以上が経ち、この道を通る草鞋姿(わらじすがた)の商人や村人たちは登山靴のハイカーたちに姿を変えましたが、道端の石仏は変わらず静かに通行人の安全を見守ってくれています。江戸時代の面影を残したこの素朴な古道を、後世に大切に残していきたいですね。歴史のつまったこの道を守ってきた人々にも思いをはせながらゆっくり歩いてみてください。
最古の巡礼路の西国三十三カ所巡り
「西国三十三カ所」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。近畿地方を中心とした観音信仰の霊場のことです。これらのお寺にある本尊の観音様を巡礼して御朱印(ごしゅいん)を集めると極楽浄土への通行手形、いわばパスポートになるとされ、江戸時代には伊勢参りと並んで西国三十三カ所巡りがブームになりました。元々は僧や修験者(しゅげんじゃ)の修業の場であったため山岳信仰とも重なり、本堂は多くは急な山の中腹や階段を上り詰めた場所などたどり着きにくい場所にたてられています。今は車で近くまで行くこともできるところがありますが、当時は計1000キロ近くの険しい道のりを、徒歩で1か月以上もかけて巡ったのです。そのため巡礼の旅が難しい人たちにも霊場巡りを類似体験できるように、ミニ巡礼コースが各地で設置されました。
巡礼の終着駅である第33番華厳寺は唯一近畿地方以外の札所で、岐阜県にあります。ここだけ過去・現在・未来の3種類の御朱印を頂いて、晴れて満願成就(まんがんじょうじゅ)となります。長い道のりをひたすら歩き、無事に満願を果たして浄土への約束を手に入れた昔の人たちは晴れ晴れした気持ちだったでしょうね。
【参考資料】西国三十三カ所霊場一覧PDF
シュラインロードの石仏ガイド
本文でお伝えした「シュラインロードの石仏」の一部の紹介を下記よりお読みいただけます。
「シュラインロードの石仏見守りプロジェクト」にご参加ください
シュラインロードの石仏は、六甲山上で200年近く続く貴重な歴史文化遺産です。唐櫃古道の時代に設置された由来を含めて、先人が営んだ足跡を偲ぶことができます。六甲山に関係する市民が地域の自然環境や歴史文化に親しみ学ぶとともに、次世代に引き継ぐための活動を目指します。
ご賛同いただける方に詳細をご案内しますので、ご関心の内容やご意見を添えて、ご連絡先を明記して、お申込みください。
2021年11月1日
プロジェクト世話人
六甲山を活用する会 代表幹事 堂馬 英二
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